6月30日。早いもので今年も今日が折り返し地点です。
振替休日の消化でお休みを頂いていた本日は毎年この日に行われる夏越の大祓いにbabarinaと出かけて来ました。
この日多くの神社では茅の輪潜りが行われます。
この儀式ですがWikipediaによると「氏子が茅草で作られた輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通って穢れを祓うもの」とされていて厄よけのひとつですね。
これを近くの氏神様の神社で行ってきました。
余談ですが引越した先の氏神様となる神社なのですがこれが結構な歴史と由緒ある神社でして創建は平安初期とか…
明治神宮も赤坂の豊川稲荷神社も神田明神も皆そうですが、ここの氏神様もご多分に漏れずなんとも神聖な力が沸き上がってくるような場所です。ゼロ地場なのかな?
茅の輪潜りを夫婦揃って行うことができたのは今年が初めてです。
多分babarinaは初めてじゃないかな?
我が家では神事仏事を大切にします。
僕は毎朝神棚とお稲荷様には二礼二拍手一礼で参拝し仏前では焼香と読経をしてから家を出ます。
また毎週日曜日には神棚とお稲荷様のお水とお塩とお米を取り替え、仏壇のお水とお米を取り替えますし表鬼門と裏鬼門、玄関に置かれた盛り塩を取り替えます。
この習慣はいつ身についたかと云えば幼い頃の両親の躾です。
神棚、お稲荷様、仏壇の参拝と礼拝は正にその賜物。ただしお水、お塩、お米の取り替えは特段躾けられたものではありませんし午年の今年から始めたものです。
では何故始めたかと云うと、多分「不」の解消の一環でしょう。
世の中に「不」のつく言葉は沢山あります。
不満、不便、不信、不全…
便利や快適というのはこの「不」のつく言葉から「不」を取る作業に他なりません。
不満から不を取ると満足、不便は便利、不信は信用、不全は完全…
余談ですがそこにビジネスチャンスもあります。
「店には閉店時間がある」という不便から不を取って一年365日24時間営業、つまり「店から閉店時間をなくした」ことの便利さで小売業の姿を変えたとまで云えるほど爆発的に成長したコンビニエンスストアがそうです。
また不動だった電話から不を取って移動出来るようにして急激に浸透したのが現代の生活必需品の携帯電話です。
生活に不安はつきもの、しかも現代は「形のない理由のない不安」です。
参拝や礼拝はこの「形のない理由のない不安」から気持ちとしての不を取り除こうとする行為なのでしょう。
つまり神仏を崇めその気持ちを表してた上で身の回りに起きたこと、それはすべて必然なんだと思えるような気がするのです。
いい意味での諦観。
現実は受け入れる以外に方法はありません。問題はその現実をどういった心持ちで受け入れるかなのですね。
神仏を崇めると云う想いはその心持ちかを形作るのに好影響を与えてくれるような気がします。