本を読んだ訳ですから本来はこのこのカテゴリーではありません。
ただ強く感じるものがあったのでオピニオンに投稿します。
母をなくして19年が経ちました、僕は三十代後半で母と永久の別れとなった訳です。
元来信仰心の厚い家系だった我が家は禅宗の曹洞宗です。
幼いころから神棚、お稲荷様、お仏壇を拝まないとご飯を食べる事が出来ませんでした。当時は意味も考えず空腹を満たす為に柏手を打ったり手を合わせることをしていました(笑)
その後大人になって柏手や合掌の意味も理解出来てからは、食事の前に「頂きます」と云って合掌する事が習慣になりました。
こうやって少しづつ仏の教えが自然と生活に浸透しだしてからの母との別れでした。
母の学生時代の大親友に神奈川県のとあるお寺に嫁いだご婦人がいらっしゃいます。
その方から母の供養に般若心経を上げてみたらどうかといわれました。
「親孝行したい時には親はいず」
多分親孝行には満点も及第点もないと思います。なぜならそれは量や時間の問題ではなく親孝行する側の思いの問題だから。
人生です、嬉しい楽しい事ばかりではありません。辛い事も悲しいい事も悔しい事もあります。
でもその喜怒哀楽を自分が感じる事が出来るのも、味わう事が出来るのも両親から生を受けたお陰です。
さてここで少し余談を。
自分には両親がいて、両親にはその両親、つまり自分から見ると四人の祖父母がいて、その四人の祖父母にも両親がいて…
これを繰り返して、そうですね僕もbabarinaも好きなサーティワンアイスクリームと同じ31代前のご先祖様まで遡るとはたして何人のご先祖様がいると思います?
千人?一万人?日本の人口ぐらいの一億人?…
答えは…
21億人を越えます…それは今世界でもっとも人口の多い国 中国以上の数です。
ということは32世代前で倍の42億人、さらに33世代目だと84億人で今の地球上の総人口を越えた数になります。
現在の日本人の平均寿命は女性が86.41歳、男性が79.94歳です。平均寿命は一般的に生まれたときの平均余命のことを云いますが日本人の出生時平均余命が50歳を越えたのは1947年らしいです。
なので江戸初期の平均寿命は30歳くらいと推測されています。
という事から強引に平均寿名を40歳としても33世代前は1320年前の西暦694年の飛鳥時代で、この年は持統天皇により藤原京へ遷都が行われました。
更に江戸時代の平均寿命と思われる30歳で計算してみると990年前、つまり西暦1024年で時代は奈良を通り過ぎ平安時代。元号が万寿に改元しました。
33世代前は決してキリストが生まれる以前の話ではないのです。
今の自分はたかだか33世代前のご先祖様からみても84億の奇跡の繋がりの上で生を受けています。
これをキリスト生誕以前まで遡ったら、ないしはさらにその前の紀元前3000年、エジプト文明にまで遡ったら…
億どころか兆、京、垓さらにその上の単位での奇跡となることがわかると思います。
このご先祖様の系譜の中で一人でも欠けていたら自分は今ここに存在しません。
あなたには苦手な人や嫌いな人はいませんか?
誰だってその類いの一人や二人はいる事でしょう。
でも考えてみてましょう。
自分も相手も奇跡の繋がりの上で生を受けている事は事実です。
この奇跡の繋がりの中あなたが苦手と感じている相手のご先祖様の誰かが、自分のご先祖様の誰かの生命に関わる危機を救っていたかも知れません。
少なくともそれはないとは誰も断言出来ません。つまり可能性としては否定出来ないのです。
そうなると今自分が存在する為の必要条件、そう奇跡の繋がりを維持してくれた恩人があなたの苦手な相手のご先祖様にいるかもしれない(笑)
こう考えてみると、苦手な人にも優しくなれる、許せる、待てる、認める事が出来る…
という思いだけは忘れずにいたいものです(笑)
余談が長くなり過ぎましたね、さて本題です。
そんな事もあり母亡きあと、般若心経を上げるようになって十九年が経ちました。
暗記で読経出来るように車に乗ると般若心経のCDを聞いたりの努力の甲斐あって?今では他のお経も教典なしに読経出来るようになりました。
その般若心経ですがこの経に関する書物は沢山出ています。
今回はあまたある中の書から柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」を読みました。
実はこの本、十数年ほど前に書店で経ち読んだことがあります。
しかしその時は軽い胸騒ぎと何故か読み進みたくないという感覚になって途中で本を閉じたことを覚えています。
何故、その本を今になって読んだかと云うと理由はいくつかあるでしょう。
その大きな理由が当時と比べて自分の心が少しは成長したこと(笑)
それとトリガーになったのこのコラムを読んだから。
自分はこのコラムの筆者とほぼ同じ道を歩んでいると痛感しました。実に興味深いコラムです、お時間があったら是非読んでみてください。
「生きて死ぬ智慧」は僅かな時間で読み終える、そんな書です。
ただ…
ただその後が長いのです。
色々なことを考えます、様々な想いが巡ります。
答えのない答を求めているのに、答えのない答を求めるのを止めません。
生きるということは答えよりもそれを求める姿勢にこそ意味があることもあるのですね。
とらわれない こころ
かたよらない こころ
こだわらない こころ
ひろく ひろく もっとひろく
薬師寺の主管であった故・高田好胤師の言葉です。