世の中には禁じ手、そんな事されちゃ…ということがありますよね。
JR東海の「そうだ、京都行こう。」キャンペーンはまさにそれ。
あんな映像を見せられたら、あんなコピーを呟かれたら、あんな曲想に編集されたら…もう心は既に京都、思いは既に古の都ですよ(笑)
これは当初1994年から始まった平安遷都1200年事業に合わせたキャンペーンで、CM自体は1933年から始まっているようです。
ただ僕がこのキャンペーンを初めて知ったのは移動中の新幹線の中で読んでいた週刊誌の中の広告ページでした。
その広告ページは白黒見開きで右誌面と一部左誌面を使ってコピーが、そして左誌面の一部に茶室でのシーンの画像があったと記憶しています。
コピーの文面はハートを真綿で鷲掴みされたような柔らかくも強烈なものだったことを今でも覚えています。
内容は静寂の中流れる時間、狭い茶室で作法に従って淡々と進み行く茶道が問いかけるものは?…だから…というような深い話でした。そして締めの句が「そうだ、京都行こう。」
このあまりにも印象的な宣伝をみたあとにTVでのCMを見たと記憶しています。
そしてその後、あの週刊誌でみた広告のCM番と出会ったのです。
その時のコピーは以下でした。
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そこは、四畳半の喫茶店でした。
余計なものが、ひとつもないんです。
だから、
相手のことを、考えるしかなくなりました。
たったお茶一杯で、人間関係のコツ教わりました。
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CMは僅か数十秒の間にエンドユーザに記憶に残る何かを伝えなくてはいけません。
それは商品の名称であったり、特徴であったり、価格であったりしますが、このCMが伝えるのは五感で感じる疑似体験。
僅か数十秒の体験なのに短編小説の映画でも見せられたような感覚に陥ります。
多分、それを見る者が瞬時にその続きを、ないしは物語の前を想像するからでしょう。
これは余白のある映像体験。
余白や行間、つまり「間」は想像と云う素敵な猶予を与えてくれます。
心惹かれる、心蕩ける、心安らぐ、心癒される、そんな映像です。